入院・手術

■1日目 2005/3/3 入院の決定

朝8時半からの特別に時間を割いていただいての診察。

MR画像にもはっきりと神経中枢を圧迫するヘルニアが見える

第5・6番椎間板のヘルニア




圧迫により神経束が白濁しているのが確認できる。
ここまでになると相当に切迫した状態との事。



簡易のカラーを即購入(5000円)装着。

初めて乗る車椅子でさっそく検査回り(検尿・血液・心電図・肺活量・
レントゲン)術後装具のサイズ計り 装具は9万円の胴当付きを発注。
※装具は保険適用対象

1100 病棟へ。これからお世話になる病室。
同室は必ずしも同じ症状の方ばかりではなく、整形外科で扱う症状様々、
6人部屋に5人。なんとも久しぶりに感じる団体生活である。
しかし4人までが術後、一人の方がその日手術日ということで、いわゆる
「手術の先輩方」ばかりの部屋であった。この事がその後の入院生活上
非常に心強いものとなった。

1200 昼食 質素だが量は十分(質素なのは病院だから当然なのだが
量的には私にとっては多めで、多少太りそうな予感がした位)。

初めてしびんで小用。日常生活全てがこのベッドの上、

1500 ステロイド点滴約2時間

点滴も慣れたものではないので針はやっぱりこわい。
何度も針をさすわけにはいかないので点滴が終わっても針は抜かない。
これがまた非常に気持ち悪い。。しかし数時間もすれば慣れてしまう。
時として存在を忘れるくらいで、痛いわけではないが、ちくっとする感覚が
時々あったり、寝るときに非常に気にはなるが、慣れてしまえば勝ち。

■2日目 2005/3/4 ミエロ検査日

実際に執刀する医大の先生に早く見せるため、ということもあって即検査。
朝6時から絶食(前日夕食から何も食べていないので20時間の絶食x。x)
9時からは絶飲。水も飲めなくなる。

0800 水の点滴を大量に入れはじめる。
ミエロというのは背骨の中の脊髄液の中に直接造影剤を注入してレントゲンを
撮る、というもの。
背骨に針?手術を前にショッキングな話。実際は背骨の間に針をさしこみ直接
隋液まで達するいうもので神経に触るわけではなく、感覚的には普通の注射と
同じくらいの痛みですよ、との事。
でもやはり場所が場所なだけに怖さ満点。。

下着一枚になり、固い寝台(CT撮影台ベッド)に左側を下に、丸くえびのように
なって背骨の隙間を大きく開ける形にして針を注入。
およそ30秒程度。造影剤を入れて針が抜けると早速レントゲン撮影。
ベッドは各度を替えて上に下に振られて最後は脊椎の方に造影剤がまわるように
頭が下になる。
針が入った瞬間の痛みはほとんどなし。すでに皮膚感覚が痺していたため、
一番痛いところを免れたのだろう。
ミエロ後はしばらく頭痛が続くということで、検査後は絶対安静とのこと。
激しい痛みを伴う人もいるようだが、私の場合は当日の夜中、目が覚めたときに
体全体の硬直感と重たい頭痛を感じたのみにて、翌朝も苦しい程ではなかった。
レントゲンの後、1時間半をおいてCT撮影へ。これは寝てるだけで終わる。
全てが終わったのは14時半頃であった。

1500 装具の試着。恐ろしく苦しい・圧迫感。「拘束具」だからしかたないが
手術の苦しみよりもこれを装着してのその後の生活を憂う。。。

1600 食事
点滴を続ける。水と、ステロイド剤とにかく多め。造影剤を尿として流すため。

1800 食事
お腹が空いていて食べる食べる。

■3日目3/5 

点滴。メチコバール・ガスター他、痛み止め系の薬

実に1週間ぶりのお風呂にはいる。
自分で自分が臭くてかなわなかったのでありがたい。
右手がほとんど言うことをきかないが、なんとかなりそうだったので
看護婦さんの介助なしで乗り切る。

※病院でのお風呂→コラムへ

■4日目3/6

点滴。
今日で術前の点滴は終わりらしい。
まだ歩けるうちは歩く。トイレも昼間は徒歩で行く事に。
売店へ行きたいが休み。

歯磨きをベッドの上で初体験。
ちゃんとタオルと水、受け皿を毎日2回用意があるのだが
その限られた水の量でいかに歯を磨いて、口をゆすぎ、歯ブラシをゆすぐか。。

術後の寝返り用のまくらを看護婦さんがウレタンで手作りしてくれた。
肩の高さを合わせ、寝返りのシミュレーションもしてみる。

■5日目3/7

右手が少し使える。勝手に伸張する反応も少し減っている。
薬のせいだろうとの回診の先生の話。
背中の痛みはなくならずボルタレンをはる。

いい天気。今日明日くらい一度は外にでておかないと後悔しそうだ。

麻酔のためのレントゲン撮影
入院時に行うものがもれていたようだ。

首から肩にかけての痛みが強くなり(薬を飲んでいないため)
ボルタレン湿布だけでは耐えられなくなった。
入院前に服用していたロキソニンとムコスタ錠をもらう。


非常に不安な夜。
夢を見る。トンネルの夢。
目が覚めて息子の顔がよぎる。
明日が手術前日、という事実。
この姿での時間がいとおしい

■6日目3/8

ここ数日はいい天気。窓の外が気持ちよさそう。
しかし意外と寒かったり、今日あたりは花粉が大変そう。
でも、このまま家に帰れるのなら本当に帰りたい。
朝、起床時にずっと仰向けになってみるが、同じ姿勢は10分と
続けてられない。。それを数日。。まだ想像すらつかない。
絶対横臥安静…覚悟もなにも出来ていない。

少ししびれがひどくなってきた。
咳をする度に神経が傷ついているような感覚。

1500 手術説明。(妻、両親が同席)

前方固定術である事。
医大の先生の執刀である事。
デメリットの説明。
手術承諾書の提出。
その他の承諾書(輸血等)の提出。
問題の大きなヘルニアの下にあるものも取るかどうかは術中に判断する事。
この手術は脊椎神経を圧迫するヘルニアを取って開放する手術であって
今現在ある痺れや麻痺を完全に取り除く手術ではない事。
痺れは確実に残るであろう事。
今までの圧迫による神経の損害については回復できないものもある事。
残った神経機能がどこまで回復、元気になるかは今後の経過を見ないと
わからない。6ヶ月を経過して戻らないものはあきらめる。
ただしいずれ老化によって機能そのものが低下する事も考慮する事。



私が入院する1週間前に手術を終えた、同室の向かいのベッドのMさん
(男性・同年齢・腰のヘルニア)にそれとなく励まされている。
夜、話をしていると可笑しすぎて、笑いすぎて、右手と首がしんどいが
暗い気分は一遍に吹っ飛んだ。
彼もまた、手術日前夜は不安で一言も口をきかなかったそうなのだが。。
手術後、もう一度、ちゃんとお礼を言いたい。

■7日目3/9

1000 麻酔科術前説明。
まだ前日という感じがしない。
明日のある時間から「不自由」になることの意味を
もう少し考えてみるが、痛みによる怖さとの比較ばかり
であまり良くわからない。
すぐ思考停止してしまう。

いい天気。
外を見ると芝生に小さな花。
「休み」の間、息子との時間を貪っていた理由が今わかった感じ。
しょうもない小さな花を一緒につまめる、『時間のある幸せ』
を感じながら『当たり前の幸せ』を感じていた。

「やりたいことはやった」

胸の所でだきしめる、というのがしばらくできないので、
来てくれた妻と子供達を力ない腕でつつんでみる。

握力右9kg 左19kg

病棟には当然ながらご年配の方、もっと症状が重く、介護が
必要な方等がたくさん居らっしゃるので、看護婦さんも常に
「走り」ながら、様々なお世話をされている。
しかしやはり時間的にも『限界』がある。

「本当に動けない」時にちゃんと対応してくれるのだろうか。

今、寝返りを打ちたいのにお願いしてから15分後の2度目
のコールでやっと。。なんてなると気が狂いそう。。
(※実際は一切そんな事はなく、他の重い方と同じように
「走って」来て下さっていたようだ。。感謝)

手術の前日、何でもかんでも不安になる。。


この夜、非常に怖い夢を見る。人を殺してしまった夢。
人が死ぬ夢というのは良い事の前兆だったか?と思うが。

仰向けに寝ると左手も動かなくなってきた。
右を下に寝ると今度は熟睡。

寝返り出来ないというのは…やはり怖い。

■8日目3/10 手術日

前日21時より絶食
本日11時より絶飲

お腹が空いた。
精神的に参っているわけではないのかな、と思う。
どこか他人事のような感じ。
咳が出ると怖い。固定された状態で咳しても骨がずれないか、
手術の傷が痛まないか。。

点滴が付けられる、
手術までずっとゆっくりと落とされる。 "ルート確保"のため。

1330 本日2番目に行われる手術を受ける人が部屋を出る。
時間は順調のようだ、
3番目の私も1530より抗生剤の点滴にかえられ、ベッドを移しかえられる。
パンツ一枚だ、事前にトイレは行っておいたので全て安心。
この移動の前、実は熱が38度にまであがってインフルエンザの疑いが出る。
念の為に検査する。(レントゲン・鼻孔に検査薬の綿棒が突っ込まれる)

熱はひかないが、インフルエンザは陰性。全体的に体調は良いので
スケジュールを優先して手術は決行されることになった

怖い
怖い
怖い

さっきまで「他人事」だったのが、急に現実味を帯びてきた。
手術室へと向かうベッドを運ぶ看護婦さんにしきりに声をかける。
あくまでも優しい声。
仕事とは言え、その存在として癒しの力を発揮する彼女に心を預ける
だけでも相当に心安らぐ事が出来た。ありがとう。Tさん。

いよいよ手術室の前、扉が何度も開いていく、4つ目の扉が開いた時、
ここが自分の場所だとわかった。
再度ベッドを乗り移って、十字架に張りつけられた格好となり、
左手より点滴にて麻酔が開始される。口にマスクをかぶせられると
思っていたので、思いがけなくもうそこから意識が全くない。





1930頃終了

看護婦詰所横の部屋に移されてから(あるいは移される途中で)覚醒。

首の手術傷口が痛い。腰はまだ麻酔下なのか、あまり痛みを感じない。
家族がそばにいるのがわかる。が、まだ目は開かない。酸素マスクがされたまま。

右手を動かすと明らかに指が一本ずつ独立して動く。もう回復しているようだ。

2100消灯
恐ろしく長い時間。一度、寝落ちて首がびくっと反応してビックリ。首の骨が
ずれていないか恐怖。。

痛み止めの点滴をしてもらう

少し寝た気がするが、時刻を聞いてみると23時。朝はまだ。
酸素吸入をはずす。
水をすこし口にふくんでもらう、
痛み止めの点滴の追加をお願いするが、点滴は6時間をあけないとダメとの事で、
少し迷う。あとは痛み止めの方法としては座薬か筋肉注射との事。
点滴の方が今は楽なので、結局お願いする。

動けない、動かせない。動かす事が怖い。
頭部両サイドにおもりのようなもの(砂袋)で固定されている。
しかしずっと同じ姿勢だと苦しい。
腰から下は動かせそうなのでちょっとずつずらしてみたりする。

両足は常に空気が出し入れする機械が取り付けられていてうっ血をふせぐ。
首と腸骨の術傷から血抜きの管が出ている。術後からはそんなに出血がなく
回復が早そうな事を看護婦さん達の話から伺える。

同じ部屋にいるのか、ご婦人がひとり、「痛い痛い」とずっと苦しんでおられる。
その度に看護婦さんが処置をし、なだめ、慰める。
どんな仕事であれ、楽なものはない、とは思って来たものの、この仕事は特に
何か人間的に何らか「もうひとつ」の要素がないと絶対勤まらないものだと確信。

とにかく時間が長い。外が白んで来たのかと思い、時間を聞くとまだ4時。
少し眠る。痛みがかなり軽くなったようだ。

■9日目3/11 術後翌日

0600起床
朝はパン。まだまだのどを通せる大きさは小さいために看護婦さんに
小さく小さくちぎって少しずつ、時間をかけてふくませてもらう。
術後の不安な長い夜を越えて、なんとも優しい気持ちが伝わって来て
涙が出そうになる。
当人にとっては普通に仕事なのだったかも知れないが、私には、あたたかさが
感じられ、そのひとくちひとくちに毎に元気が戻ってくるようだった。
結局パン2本、牛乳を食べた。
時間をかけてゆっくりとやさしい声をかけながら力づけてくれた
看護婦のNさんに感謝の気持ちでいっぱい。会うたびに合掌。

0800
痛みの「質」が変わってくる。腸骨の方が痛くなってくる。鈍痛の様。

1000 回診
ガーゼ取り・消毒。
清拭・着替え・下もあらう(尿管がついているため少し痛い)

1100 詰所横の部屋よりいつもの部屋へ移動。

取った「ヘルニア」を見せてもらう。

 
なんとも結晶のような、キラキラとしていて、それでもやはり
ナマナマしく変な気持ち。。
ベッド横のテーブルに置いておくと、みんなして「ジャム」だとか
食べ物のように見えたようで反応が可笑しかった。

術後の経過

■10日目3/12 術後3日目

装具をつけてベッドを少し上げる。
食事も寝た状態に近い形で摂るのでヨメさんに助けてもらう。
装具により口が思うように開かず、(口を開けると胸が締め付けられる)
ごはんも、大きな塊のものも口に入りづらいので、おかゆにしてもらう。

■11日目3/13 術後4日目

ベッドは90度へ。
本来1週間はベッドを起こすことは出来ないと言われていただけに
ビックリするやら、うれしいやら、怖いやら。。
ほとんど座った状態であれば食事もほとんど普通にできる。

依然、装具をつけての就寝は、装具の後頭部のパーツが痛くてたまらず、
外してもらって寝る。装具なしでももともと後頭部の形が「そうなっている」
のか、一点が痛いので、すぐ寝返りをお願いする。

■12日目3/14 術後5日目

術傷の管(首も腰も)が取れる。
自由度が増す。(寝返りの際に管を気にせず出来る)

■13日目3/15 術後6日目

尿管が取れる。→コラム・痛みについて
ベッドから立ちあがる。
感動である。1ヶ月寝たきり、という話はどこへ行ったのか。。
それでも寝たままというのは相当に足の筋肉を衰えさせるので
立ってられない。
しかし、以前の「麻痺によるもつれ」は無いようだ。
歩行器を使用して歩けるなら歩いてもいいとの事。

握力計測 右26kg 左30kg

■14日目3/16 術後7日目

しびんの必要性はまだ装具をとってしまわないと寝られないので仕方なし。

■15日目3/17 術後8日目

「頭を洗ってみる?」
看護婦さんの天から聴こえて来たような言葉。。
脂まみれだからこそ、暑くて仕方ないのでは、と思えるくらい汚そうな頭。
但し、首をのけぞらせる形を取れないので、病院内で普通に行っている
洗髪のやり方は不可能。前例がない以上、「工夫」するしかない。
ポリ袋を多用してベッドの上に、敷いたり、頭に巻いたり、とにかく
防水対策万全にして、いよいよお湯を流しこみ、シャンプーへ。

その気持ちいいこと。。

いつも使うシャンプーのいい香りが立つのだが、排水に問題があったか。。
ベッドが思いっきり濡れてしまってシーツを取り替えなければならない事に。

リンスをあきらめ、あわてて頭を拭いて装具を付け直し、パジャマも
上半身が濡れていたので着替え、ちょっとした騒ぎに。

でも何とかして「工夫」をこらし、願いを叶えようとして下さった看護婦Yさんに
大感謝。。ありがとう。パジャマが濡れようが、頭はすっきりさっぱり本当に
気持ち良かった。

その後、足を洗ってもらえる。気持ちいい。これもまた非常に丁寧。
機械もあるのだろうが、手で丁寧にしかも手際よく洗う。
足も自分でよく見ると相当汚くなってた。
そんなモノを嫌な顔を全くせずに世間話をしつつ、淡々と。。
看護婦Kさん、ありがとう。

同室だったI君(手術日が同じ、2番目だった彼)の退院。サッカー少年だった
彼はひざのボルトを抜きに来たと言い、わずか一週間程度で出て行った。
元気なその青年はもう翌日から筋トレを開始すると言っていた。

■16日目3/18 術後9日目

点滴が不要となり管が取れる。(飲み薬だけになる)

■17日目3/19 術後10日目

同室のMさんが退院した。
どうせなら大安の日に、ということでこの日を選んだ彼は、例の腰のヘルニア
の彼だ。最後の最後まで、この病室の全員と看護婦さんを笑いの渦に巻き
手術の近い新参者を元気付けた。
既に神経がかなり痛んでいたらしく、手術後も「まだ痛いねん」を繰り返し、
それさえもネタに笑いを誘っていた。
彼の今一番気にしているのは、幼稚園に通う息子さんの運動会で一緒に
走れるか、だった。
「まだ痛いねん」と言っていた右足が、その日までに完治とは言わないまでも
奇跡的に元気に復活して、息子さんの自慢の父の姿を見せている事を
神に、仏に、万物の霊に祈る。



本当にいろいろとありがとう。固い握手をして別れる。

■18日目3/20 術後11日目

装具をつけての就寝 4時間が限度 安定剤(リスミー剤)を服用。

■19日目3/21 術後12日目

装具付きのままでで夜を過ごせた。後頭部の痛みはスポンジとハンカチなど
の布をさらに噛ませてやわらぐが、なくならない。薬のお陰で何度も起きる
事なく寝られるようになったようだ。
しかし朝起きて見てみると、頭の固定テープが外れていたり微妙にずれて
しまっていて少し怖い。(後で聞くとそんなズレくらいでは大丈夫な装具らしい
ので安心)

足の血栓防止ストッキングがとれた。
もう看護婦さんにお世話して頂く事がなくなってきた。
清拭、検温、血圧、食事のチェック。。位?

握力、右が30kgに戻ってきた。左も30kg。
…しかし起きぬけに測っても力は出ないって…

■20日目3/22 術後13日目

採決検査とレントゲン
 

 
「チタンケージ」と言うらしい。中に腸骨が入っている。
スパイク状になっていて、上下の頚椎をしっかりつなぎやすく
してくれている。このお陰で長期間の寝たきりから救われた。

抜糸。胸と腰両方とも。→コラム・痛みについて
2足歩行の許可。(歩行器の解除)
うまくいけば来週の退院できるかも、との話も。
お風呂は2日後から。

この日2名の新しい方の入院がある。春休みに入って学生(スポーツマン)の
入院が多くなる。

■21日目3/23 術後14日目

薬が減る (化膿止めの薬がなくなった?)

握力計測 右28kg 左30kg

■22日目3/24 術後15日目 

M君退院。当地甲子園出場高校の野球部の彼。
夏の出場をめざしてエールを送りつつお別れ。




下半身のみのお風呂許可が出る。(腰の術傷に気をつけて) 

■23日目3/25 術後16日目 

水にぬれてもいいカラーを買えば洗髪も可能かも?
明日早速試してみよう、という話に。

■24日目3/26 術後17日目 

お風呂。久しぶりの洗髪。術日前が最終だったので18日ぶり。
本来、装具はまだ外せない段階なのだがカラーをしっかり装着して、
のけぞる、極端に下を向く事厳禁!にてシャワーで洗う。
装具を立ったまま看護婦さんに外してもらい、お風呂用のカラー装着。
シャワーは高い位置から上から浴びるようにして、頭から全身も洗う。
首をあまり動かさないように慎重に頭から洗っていく
もう自分では匂いがわからないようになっていたのかもしれない。
相当脂っぽく、シャンプーの泡がたたない。
カラーの下に隠れて見えないが術後の傷も気になるが痛みや沁みる感覚
まったくなし。

背中と足の先が洗いづらく看護婦さんに手伝ってもらう。
後で思えば足のほうは胡坐をかけば洗えたかもしれないが
首を下にまげるのはやっぱり怖かった。

お風呂から出る時は、ある程度拭いて下半身から着用。
上半身の着替えのみ介助をもらう。
体と頭を拭いて、上を着てから、ぬれたカラーをとり、装具を立ったまま
仮止めのように装着、上着を調整して装具をつける。
シャンプーの香りが気持ち良いのに対して、装具が獣のような匂で臭い…

とにかく暑い。
しかしびっしりこびりついていた脂がすっきり取れたようで本当にすっきりした。
抜糸してだいたい2・3日すればお風呂は可能なようだ。
不安感あるが、痛みもなかったし、むしろ空気にさらしてどんどん治りを早くする
方がよさそう。しかしまだ傷口をこすって洗う勇気はなし。

■25日目3/27 術後18日目

睡眠中少し蕁麻疹が出る。下着がこすれる部分にみみずばれ。
腸骨の傷の近くもかゆいので注意する。

握力計測 右35kg 左32kg

■26日目3/28 術後19日目

蕁麻疹について、皮膚科へ。
薬の影響等ではなく、乾燥とこすれ、アレルギー等他の要因だろうとのこと。
蕁麻疹はこれまでもストレスによるものをずっと経験しているので、ぶり返した
だけのようだ。
塗り薬、保湿剤、飲み薬を処方される。

■27日目3/29 術後20日目

レントゲン。異常全くなし。ケージもずれる事なくしっかり固定されている。
グーパーテスト(10秒に何度グーパーができるか)両手とも20回にて合格。
しかし、昨日あたりから右小指が少し痺れている。気になるが、特に指示なし。

お風呂。首の傷周りを前回怖くて洗えなかったが、カラーの下に指を入れて
こする。もの凄い垢(汚^^)

退院を勧められる。
週末あたりでどうでしょう?と主治医の先生。。

…本当にお世話になりました。

家族と相談。4月2日(土)を予定とする。しかしどうもその日は雨模様。。

新たな同室者が増える。6つあるベッドが満床となる。

■28日目3/30 術後21日目

病院内でも4月1日付での異動等があるらしく、お世話になっている
看護婦さん達の何人かが配置換えになると聞いた。
今日からお互いに「ご挨拶」の毎日。


窓の外の桜の木の芽が膨らみ始めた頃。
退院まで開花は間に合わないだろう。


寝る時はだいたいこれくらいの傾斜で
寝るとぐっすり。。このベッドを持ち帰りたい^^

■29日目3/31 術後22日目

入院当初より同室であったTさんの退院。
昨年12月からの入院生活。季節の移り変りをずっとこの病院の窓から
眺めていたその時間の流れとはどういうものなのか。
私の過ごしたひと月と比べてどんなものだろう。
お世話になった文字通り「全ての人」にお礼をきっちり言って、その皆
「全ての人」に祝福されて、めでたく、この病院を去った。
真面目、几帳面で誰からも信頼を得られてしまうその性格。
見習うべき点がたくさんあった方であった。
まさに一期一会。




お風呂。
カラーをつけかえての入浴も何となく慣れてくる。。いや、やっぱり
こわごわ^^ 自宅へ帰れば全て自分でやらないとダメなので、
なるべく慣らしていきたい。
しかし出る時に装具を付け直すのはどうしてもひとりではできない。
「工夫」をしなければ。。

お見舞い。


チビ達のささやかなお見舞い。
左は4歳の弟から。どこかの石ころ。
右は8歳の姉から。これもどこかに咲いていたであろう花。

もうすぐ帰るからな。また散歩しよう。

■30日目4/1  術後23日目

退院前日となって、お世話になった看護婦さん達にお礼を。
シフト勤務で今日が最後になってしまう方も多い。
そのなかのお一人、Iさんに退院後の装具のつけ方の伝授を
妻にしてもらえるよう、お願いする。最後の最後まで本当に
お世話になりました。

痛み止め、痺れ止めの薬が30日で終了して、既に薬なしの生活。
未だ残っている右手中指・くすり指指先の痺れに小指指先の痺れ
が加わった。痛みについては腸骨のあたりが少し痛みを感じる位。
どちらも問題ない程度。
主治医からも特に薬の再開の指示なし。

回診時に退院後の生活について質問。

・装具はいつまで着用? …3週間後に外来診察。その時に判断。
   予定としてはその日に外して、簡易なカラーに変えてさらに
   3ヶ月後(正確には術後3ヶ月後)には普通の状態に戻る。
   なので、仕事も装具・カラー着用で出来るようなものなら大丈夫
   だが、基本的にカラーが取れてからと考えて。

・自宅で寝るときの注意は? …特になし。今の状態と同じで良し。

・絶対やってはいけない事 …当然ながら、のけぞる、極端な首の
   曲げ。走ったりする事は逆にまだまだできないはずだから、神経
   の回復とともに出来るようになれるものから徐々に、ほどほどに。

・車に乗れる? …乗らないで。他車から起こされる事故も想定すれば
   乗らない方が良い。      


最後の最後に無理を聞いていただき、写真に一緒に納まって頂く。


「大公表」はご迷惑かも知れないのでこれ位の大きさで^^
左が手術室へ運んでくれたTさん、中央が主治医のN先生。



お風呂用のカラー(メッシュになっていて乾きやすい)を購入(約5000円)

入院・手術費用の請求書を受けとる。

■31日目4/2  術後24日目 退院日

ちょうどひと月に渡る入院生活の最終日。
主な荷物は昨日既に家人に持って帰ってもらっていたため、最小限
になった荷物を少しづつ片付ける。

朝6時に起床。
髪だけ整えて新聞・紙パックのコーヒーを買いに4階の病室から1階
にある売店の自動販売機へ。
新聞、メールチェック、朝のTVを見る。
8時。朝食が運ばれて来る。パンと牛乳とゆで卵とフルーツ。
点滴やその他処置のある人には看護婦さんがくるくると巡ってくる。
回診で医師が全患者に声をかけて、消毒等の処置を施す。

いつもの午前の風景。

できればしたくないと思っていた入院生活だが、今日はそのひとつ
ひとつの風景に感慨深いものを感じる。

朝一番でお風呂を使わせてもらおうと思っていた所へお見舞いに
友人が訪問。ひとしきりしゃべっているともう昼になっていた。

お風呂と昼食をすませて、久しぶりにパジャマを脱ぎ、普段着・Gパン姿
になって鏡を見ると、全く病人ぽくなくなった。
装具も胸当て部分が見えなくなると意外と目立たないものだ。

家人が迎えに来て、同室の皆さんにお別れ。最後に向かい側ベッド
になった、糖尿で右足を失ったおじいちゃんが非常に気になる。
おしゃべり好きで個室から大部屋に移って来られ、私もたくさんお相手を
させてもらったが、春休みで学生ばかりの病室。。大丈夫かな。。

14時。看護婦詰所あたりが騒がしく急病人が出たような雰囲気で
どたばたしている。まともにご挨拶ができず、少々つらかったが、
病棟を後にする。

外は寒い。

今日はまだ暖かい方だという。

雨こそ降らなかったが、どんよりした空でもひと月ぶりの外界。

車で10分かからない家までの車中ですでに疲れてしまって
肩こりが出てきた。

平地しか歩かない院内。

家は玄関から階段状。足があがらない。

まだ治癒していないのか?と疑うほどに、家の中を動けない。
段差はフローリングの床と中敷との差もかなり気になる。

しかも木造の自宅は冷え込んでいてさらに寒さを感じる。

3月3日。入院の日。娘のひなまつりの為、夕食は「手巻き寿司」
の予定だった。
ひと月遅れて久しぶりに食べる自宅での食事で、やっと叶った。

やっぱり家族一緒の食事がいい。


>退院後

■あとがき

今帰宅して、改めて思い返すと、入院当日まで抱えていた
不安や恐怖が今では遠い懐かしい話のように思えます。

●仕事がいわゆる「中休み」状態で周囲に迷惑がほどんど
 かからなかった事。(メールやり取りで事が済む状態だった事)
●主治医の即断と早期の処置によって、回復が予想以上に
 良好だった事。
●病室で同部屋になった方達が押並べて親切で明るかった事。
●看護婦さん達もやはり明るく、冗談さえ飛ばせ合う中、 仕事は
 常に非常に献身的で、安心・信頼をおける方々ばかりであった事。

「不幸中の幸い」とは言え、偶然とも必然とも言える、この「時期」
そして「出会い」によって、さらなる大きな不安を招くことなく、
スムーズな治療と回復につながったと、感謝しています。

治療に関わった主治医はじめ先生方、看護婦さん。
治療に専念させてくれた妻をはじめ家族、両親。
様々に心支えてくれた友人知人達。そして同部屋だった方々。
そして…闘病記等で記録を公開し、さらに相談にも乗って
下さった同じ病と戦う戦友の皆さん。

全ての皆さんに感謝致します。本当にありがとうございました。


『大丈夫、大丈夫、大丈夫!』

今、手術に対して、この病気に対して「怖い想い」を
している人達に声を掛けてあげたい。。

この体験・経験をした事で可能になった「私に出来る事」。

「息子を肩車出来なくなった…」
出来なくなってしまった事を嘆くよりも、むしろ
「出来るようになった事」を考え、自ら実行する第2の人生。

諸先輩方に習い、退院後の経過も続けて記して行きます。

2005年4月3日 masay


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