退院後〜1年目

INDEX

術後25日目(退院2日目)2005/04/03
術後26日目(退院3日目)2005/04/04
術後31日目(退院4日目)2005/04/09
術後42日目(退院19目)2005/04/20
術後62日目(退院39日目)2005/05/10
術後70日目(退院47日目)2005/05/18
術後93日目(退院70日目)2005/06/10
術後98日目(退院75日目)2005/06/15
術後114日目(退院91日目)2005/07/01
術後126日目(退院103日目)2005/07/13
術後175日目(退院152日目)2005/08/31
術後273日目(退院250日目)2005/12/07
1年目(363日目・退院341日目)2006/03/08

それ以降の経過

■2005年4月3日 術後25日目

帰宅して2日目。
実は寝具に困っている。
病院ではベッドに若干の傾斜(10度〜15度くらい)をつけて寝ていた
ものを自宅でも下に敷物等で工夫するも、どうしても装具の後頭部と
あごの部分(主に左)が圧迫されて痛い。
マットレスと何かうまく傾斜をつけられるものを探さなければ。
21時に寝て、6時に起きる習慣が染み付いている。
何度かその痛みで起きるが、少し装具をゆるめたりずらしたりして寝る。

お風呂に入る。
湯船に久々につかるが、胴体部分は湯の熱さを感じない。
足は多少動かすと温感があるが、じっとしているとぬるま湯みたいに。
とにかく何をするにも時間がかかる。
脱ぐ、着る動作に椅子が必要だったことを思い出した。

PC作業は極力1時間を越えないようにする。
首がすぐに疲れてくる。そうなったら背もたれの高い座椅子で休憩。

思ったより歩けない。
2Fの寝室と1Fのリビング、トイレの往復は入院前とあまり変わらない
足取り。とにかく「段差」が苦手。

右手中指・薬指・小指の痺れはそのまま変わらず。
でも箸を持つ、キーボードを打つ、文字を書く、問題なし。

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■2005年4月4日 術後26日目

やはり寝るときの痛みがひどく、昨晩は背中が痛くてたまらず
横姿勢を取ろうとするが装具では上手く出来ず、かといって装具を
取る勇気もなし。。
仕方なしに夜中3時からは、リビングの座椅子に移り、背中を少し
起こした姿勢を取る。眠れたのかどうか分らない位の浅い眠りで
6時起床。
背中の痛みは和らいだが、肩こりが出始めた。
寝るのが苦痛なのは辛い。。

息子の定期検査で病院へ行く。家族ぐるみでお世話になっている
ので同じ病院だ。
診察券と次回外来予約票を看護婦詰所で預かってもらっていたので
ついでに取りに行く。
さらに用事があって、入院時に同室だったHさんの写真を持っていく。
かつて私も居た病室。。
なんだかもの凄く懐かしいような、入院生活がまだ続いているような
なんとも不思議な感覚。。
静かな静かな病室の窓からは桜が少し開花しているのが見えた。
退院時同室だった方々が皆居らっしゃったのでひとしきりお話。。
看護婦さん達は相変わらず忙しそうにしながらも、声を掛けて下さる。
「その節はお世話になりまして…」
まだ数日前だけど、やっぱりなんとも不思議な感覚。

実は病院とその後、寝るときのマットレスがどうしても欲しかった
のでショッピングセンターにも行ったのだが、車を使った。
装具のせいで真横の目視確認が不便以外は全く問題なく、
速度を落とせば路面状況が分るので、首を踏ん張れる。
信号待ちなんかちょうど座椅子にもたれて座っている形で実に
楽だ。もちろんひと月ぶりの運転はさすがに怖くて、家族を
乗せる前に一回り練習をしたが。。
もうひとつ不便があった。駐車場を出るときに駐車券を入れるのに
一苦労。


前があごから胸に至るパーツ、後ろが後頭部から肩の後ろに
至るパーツ。これらをマジックテープで固定する。
本体はそれぞれにお腹、背中に至るパーツもあるのだが、
あまりに苦しく、主治医の許可得て外して着用。
お風呂に入る時だけ外せるので(お風呂用のカラーが別に有り)
汚い部分があまり見えないように解像度を落として(爆)撮影。

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■2005年4月9日 術後31日目 (退院1週間目)

手術してちょうどひと月。病院によってはこれ位の時期
から装具やカラーの類を外しても大丈夫な所もあるよう
なのだが、次のレントゲン検査・診察日である20日まで
はとにかくこの装具は外せない。
相変わらず寝るときの苦労は続いており、背中が痛い
ので装具の背中に当たっている部分にタオルをかませ
たり、両膝を立てると少し装具が下にずれた形になって
あごへの圧迫が少なくなるので楽になったりする、そんな
ポイントを見つけたり、毎晩が格闘だが、夜中に首か
背中か腰のどれかが痛くて起きてしまう。
入院中も、装具の後頭部にあたるパーツがどうしても
痛く、夜中に看護婦さんに装具を着けたり外して
もらったり、寝返りを何度もお願いしたりして、それが
申し訳なく(自分でも面倒だった)思い、ベッドの隣人が
使用していた「安定剤」(リスミー錠)を私にも処方して
頂けるようにお願いして、服用して寝ていた。
手元に少しだけ、その薬の残りがあったので小さな錠剤
を半分にして少しだけ服用してみる。
夜中に一度目が覚める。痛みというよりトイレで覚めた
という感じ。
案外、寝るときに身構えすぎて緊張しすぎて余計に体を
痛めているのかもしれない。。

しかしこの薬は翌日も確実に効き目を残す(座っている
と眠ってしまう^^)ため、連続使用できない。

昨日は所用あって、電車に乗る。
車に乗るよりも激しい揺れがある事に気づく。
体が揺さぶられると固定されている首と頭が大きく
揺すぶられる。。まだ怖くて電車は乗れない。。

花粉症症状が徐々に出始めた。
くしゃみを連発する。。が、入院前のあの全身にはしる電気
による恐怖感はなし。

右手中指・薬指・小指の痺れはそのまま変わらず。
首から右肩の痛みはなし。
入浴時、胸から下、ふともも位までの温感未だ戻らず。
駅等の階段の上り降りはまだ億劫な位。

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■2005年4月20日 術後42日目(退院18日目)

退院後、初めての外来診察。生憎の雨。。

この日起床時、装具を着けたまま初めて体を横にして寝ていた
(気づいたら側臥状態だった)。
右腕を枕にしてしまっていて、普段でも痺れているのに指先が
特に焼けるように痛かったのと、固定されている
とはいえ、不自然に首が曲がってしまった状態で、痛みを感じた。
今日が診察日で良かった。。

車で一路病院へ。
側方確認が出来ない不自由さに慣れた、というよりも信号のない
交差点に進入しない、どうしても通る必要があれば必要以上に
安全確認をするので、多分この不自由な状態の方がはるかに
安全運転であった気がする。

病院。外来の患者が休日明けに比べて少なくなる中日。
しかし、今日は救急車がやたらと到着しているようだ。

レントゲン撮影。
何度も何度も撮ってもらったレントゲン。
技師の指示をいかに「右斜め・右向き・左…」そんな簡単なものだけで
済まさせるか。。これも密かな楽しみのひとつ^^

さぁ、退院日以来久しぶりに主治医の先生に会える。。
なんとも嬉しい気分。ある意味「恩人」とも言える方なので当然の事か。
しかも看護婦(本当は看護師さんと呼ぶべきか)さんは病棟でもお世話に
なっていたSさんが!外来担当としてに移って来たのか確認すると、
どうも今日は忙しいから…との事。

「ほなら、その装具外そうか!」

甲高い声が特徴の主治医N先生の言葉!
「待ってました!」
Sさんが次々と装具を外してくれる。そして手術直前まで着けていた
簡易カラーを装着。。なんと清清しいっ^^

レントゲンの画を観ながらの説明。
頚椎同士を結ぶチタンケージがしっかり固定され、頚椎前部には骨の
形成を表す白い影がうっすらと映っていた。

しかしながら、神経の回復については退院時とあまり変化なし、あるいは
少し衰えている点を指摘されるが、前夜の夜更かし(0時就寝)と朝の無理
な体勢が祟っているものと思われる。

握力 左右とも35kg
右腕全体に痺れ、指先に特に強い痺れ感
しかし箸が使える、文字が書ける。
胴体胸部より下の温痛感の鈍化に回復なし
平地歩行に問題ないが、階段昇降にはてすりが必要。

次回の診察を5月18日(術後70日目・退院46日目)に決めて診察終了。

帰る間際に先生から出た言葉がなんと
「闘病記、頑張ってる?」
見て下さってる!?…というか大事な事聞くの、忘れてた。

私「写真、掲載してもいいですか?」
N先生「ふふふ…」

…"良い"という事!?^^

退院日の所に小さく、ですが「一生忘れられない恩人」として掲載させて
頂きます。最後の最後に撮影の許可を頂いてありがとうございました。
改めて感謝。。。

そして術日から今日までの40数日。私の首を支えてくれた「装具」。
その最初の出会い、見た目からして既に「苦痛」の象徴みたいな事
ばかりを言って来たけれども、ずっと(お風呂の時以外は)体の一部
だっただけに別れが惜しい^^(ホンマかいな^^)
でも、本当に今までありがとう。。記念にキチンと保管しておきます。

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■2005年5月10日 術後62日目 (退院38日目)

手術から2ヶ月が過ぎました。もう何だか遠い昔のようです。

装具が外れて以来、首を左右にまわせるようになるだけで、
相当生活が楽になりました。もうほとんど通常生活です。

装具を取った当初は首の筋肉がついていないからか、連日の
肩こりと背中が痛い症状。およそ1週間で、首を支えられるように
なって、かなりマシになってきました。
気付くとうつぶせ寝をしている事もあり、その時はさすがに首が
痛くて起きてしまい。。。ちょっと怖い思い。。

カラーは寝るときもお風呂に入るときもまだ終日つけっぱなし。
気候が良くなって暑くなり始めると、入院時に購入した布製の
カラーがむれて暑く、普段も入浴時用にと購入したメッシュの
カラーを付けるようになりました。
しかし、肌に当る部分がこすれて少し痛いので、Tシャツの首
まわりをカラーにはさむ(常にカラーの下になる)ようにしました。
あご側は、手術前日に剃ったきり、伸ばしたままのあごひげが
クッションの役割をして非常に重宝している状態です^^。

手術跡の傷口が痒くなるときがあります。
立ちっぱなし、あるいは疲れるほど歩いた時等に腸骨のあたりに
鈍痛を感じる事があります。


<各症状の状態>

・右手ひじの痛み若干あり
・右手指先のしびれあり
・歩行20〜30分の連続歩行も可能、
 しかし長時間同じ姿勢(同じ形で座った状態から立ちあがるとまだもつれる)
・温感、胸上部と足のすねあたりは少し感じる気がする。胴体はやはりまだまだ。
・首から肩にかけての痛みこり、無理をしない限りほとんどなし。
・就寝時、まだ時々胸椎の辺りが痛い。横臥姿勢でも苦しい痛みがほぼ毎日。
・まだ走れない。。でもほとんどの日常生活に支障なし。

※思い出しメモ※

脊髄症状で、術前後に排便困難の症状があった。
ふんばり方を忘れたような感覚になるため、なかなかモノが出ないが
ウォシュレットで肛門を少し刺激してやると、かなりの確率ですぐ出る。

次の診察は5月18日。レントゲン撮影の上での診察となる。

先日、面白いニュース発見。

ヘルニアは遺伝性のもの?

(5/18確認。リンク切れしてます…ヘルニアには遺伝的要素があるらしい
ことが遺伝子の配列を調べる事でわかって来たという話。親、または親類
にヘルニアの経験者がいると、発症率が何倍か高くなるらしい。)

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■2005年5月18日 術後70日目 (退院46日目)

肩を中心とした上半身全体にわたる若干のこりや痛みと、術後患部が
少し気になるが、もうほとんど普通に動かせている。

ここ最近の日中の暑さもあって、部屋でじっとしている時には時折カラー
を外して過ごしているほど。頚動脈がラジエータ代わりになるのか、頭が
すっきりして来る。

この日、退院後の2回目の検診。何ともひさしぶりな感じ。
待合で病棟でお世話になっていた飯田さんに声をかけられる。
これまた懐かしい人に偶然会えて非常にうれしかった。
病棟からこの外科外来は距離があり、病棟付きの看護師さんにこの時間に
出会うというのはなかなかないもの。しかももう1ヶ月以上も前に退院した
私の事をよく覚えて下さっていたものだ。。感動。。

正面左右、左斜め前の合計5枚のレントゲン撮影の後、診察室へ。

正直、術後3ヶ月間はカラー装着、という事で、自身でも状態は良好だと
思っていたので、前倒しで『カラー解除』の言葉が聞けると思ってた…

残念ながらまだ外せない。。見た目に骨がまだいっかり接着していない
ということ。念には念を入れて、次の診察まで着けて下さい、と。

次の診察日は6月15日。術後98日目にあたる日。。でもすぐだ^^

早朝に背中に息が詰まる位の痛みを感じて起きることがある、ということを
伝える。これは日中ずっとその症状が続くわけではないので、骨のものでは
ないという事でただ単なる「肩こり」だという診断。

首を自然とかばう事、またカラー装着のために筋肉が弱っている事で
極度に緊張するから来る肩こりらしい。

緊張をやわらげる薬を処方してもらう。「テルネリン錠」1週間分。

この日は救急車がひっきりなしに来ている。
しかも外来患者もやけに多く人だらけ。
会計も薬局も同様で、清算までに時間が相当かかりそうだったので、
ちょうどさっき飯田さんにお誘い頂いたのもあって、入院していた病棟へ。

ひと月でまたガラリと変わっている。

退院のときに工事が始まり、前回診察の時に完成しつつあった、車椅子用の
新しいトイレが開業していた。凄くキレイ。
もと居た病室のメンバーが全員入れ替わっている。

整形外科は回転が速いのだ。
これだけベッドの上をどんどん患者が通り過ぎていく中、よく覚えていて
下さった。。

でもそんな事より…

…あれ?…あのおじいちゃんは?

糖尿病で内科に何年も入院を続け、ついに足を失って整形外科に来た
あのおじいちゃん。個室は寂しいと言って、私たちのにぎやかな大部屋に
移って来て、楽しそうにずっと話を続けてたあの人は…

向かいの個室に名前を見つけた…「面会謝絶」の札がかかってた。。


<各症状の状態>

・右手ひじの痛み若干あり…そのまま
・右手指先のしびれあり…そのまま
・歩行20〜30分の連続歩行→さらに長時間の移動も可能。
 しかし長時間同じ姿勢(同じ形で座った状態から立ちあがるとまだもつれる)
 …これはそのまま
・温感については首から下、胸のあたりまで感じるようだ。お腹は全くダメ。
・首から肩にかけての痛みこり→最近少しひどい気がする。それだけ動かしているから。
・就寝時、まだ時々胸椎の辺りが痛い→薬で若干やわらいでいる。起床時に痛みあり。
・まだまだ走れない。。でもほとんどの日常生活に支障なし。

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■2005年6月10日 術後93日目 (退院69日目)

今日が実質、手術日より三ヶ月目の日。

実は3日前くらいからカラーを取って生活している。
車や電車に乗るときはさすがに「念のため」に首に巻くのだが、
要は暑くてたまらないのだ。

この時期の気候のせいもあるが、まだまだ朝方は肌寒く侮れない
ので、窓を全開にすることなく就寝するのだが、メッシュでも
保温効果抜群のカラーをつけたままだと、のぼせる程暑くなる。
ただ、カラー無しでは、やはり多少の緊張があるのか、翌朝の
肩こりが激しいのに加えて、背中の痛みがひどく、早朝3時とか4時頃
にその痛みで起きてしまう。また痛み止め(筋肉の緊張をほぐす薬)を
もらわなくては…


『3ヶ月経てば、カラーを取って、ほぼ普通に生活ができる…』

入院の時の主治医の先生の言葉。

「3ヶ月先」というのがあれほど遠い未来に思えたのがウソみたい。

いよいよ15日の定期診察でその辺りの事が一挙にわかるだろう。

次の目標は6ヶ月後。

この時期までにどこまで回復できるか。。

とにかく「走る」事を体に思いださせたい。


<各症状の状態>

・右手ひじの痛み若干あり…疲れが出た時に痛くなる程度
・右手指先のしびれあり…そのまま
・長時間の歩行…ほとんど問題なし。ただ疲れてくると足がもつれることがある。
 長時間同じ姿勢(同じ形で座った状態から立ちあがるとまだもつれる)…変わらず
・温感…やっぱりお腹・背中は全くダメ。
・首から肩にかけての痛みこり→同じくひどい。動かして疲れている&カラーを外して
 緊張感が増している事から。
・就寝時、まだ時々胸椎の辺りが痛い→薬がないと息が出来ない程の痛さがある。
・走れない…小走りを試みるが、足に力が入らない為その場で崩れる。

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■2005年6月15日 術後98日目 (退院74日目)

2回目から3回目診察までの間が一番短かった感じがする。

恐らくもうほとんどカラーを着けずに生活していたからだろう。
装具絶対装着の時期や、カラーが取れない時期はやはりどうしても早く
取れる事を期待して次の診察での先生の言葉が待ち遠しかったのだ。

9時。朝一番の予約。
8時半にレントゲン撮影の後、診察室へ。
やはりあまり久しぶりな感じがしない主治医のN先生。
もうすでに外来の方でもお馴染みになった看護師の佐々木さんとも
ひと月ぶりという感じはしない。一切よそよそしさがなく、フランクに話が
出来るからか。。


術後3ヶ月のレントゲン写真。



前回診察の時も見えた、薄く形成されつつあった骨がしっかりケージのまわりに
付き始めているとの事。
ケージの中まではこの写真では判断ができないが、経過は良好という事で、
とうとうカラーを外していいとの正式な言葉を頂けた。


神経症について、温痛感のテスト。

触覚(筆状のもので触れた感覚)…頬を10として
 腕…10
 腹部…6〜8
 足…5〜6

痛覚(針状のもので触れた痛覚)…頬を10として
 腕…10
 腹部…5〜6
 足…3〜5

上記数値は少しうろ覚えだが、このテストをやると意外と"まだまだ"なのだな。。
と認識。
先生も結構足の甲なんか特に針を突き立てていたみたいなのだが、本当に
痛くなく、当たる感覚だけなので、「やけどに気を付けて」とアドバイスと言うか
注意を受ける。

睡眠時の背中の痛みが続く事と、寝相の問題なのか先日、起床時にあごの関節
に鋭い痛みを感じ、3日程その痛みが続いた事などを相談。
筋肉をほぐす薬「テルネリン錠」を引き続き処方して頂く。

次回診察はひと月後の7月13日。
できれば劇的な回復を見せて先生の笑顔が見たい。
先生にとって、同様の症状を持つ患者に次に出会った時に、私の回復例が
大きな自信につながる事が出来るように。。


会計待ちの時間、また病棟をぶらり。。

ちょうど検温の時間。森田看護師と目が合う。。
…覚えていて下さった。。もう2ヶ月以上前なのに。。

病室はまた人が入れ替わっていた。6人部屋に2人しかおらず、非常に寂しそう
だった。数ヶ月〜半年も居るような人が入院していたのは私が入っていたあの
時期だけ…? もう初夏なのに温度も匂いも雰囲気もほとんど変わらない病棟を
後にする。




しかし、この見た目も着け心地も良いとは言えないカラー。
今日まで私に安心感を与え、実質、私の首・頭部を支え守ってくれていた、一種
体の一部。。

「外していい」となると、寂しくなるもので…

短い間だったけれどもありがとう。
ちゃんと洗って残して置こう。



<各症状の状態>

・右手ひじの痛み…疲れが出た時に痛くなる程度…そのまま
・右手指先のしびれあり…そのまま
・長時間の歩行…ほとんど問題なし。ただ疲れてくると足がもつれることがある。
 長時間同じ姿勢(同じ形で座った状態から立ちあがるとまだもつれる)…変わらず
・温感…やっぱりお腹・背中は全くダメ。上半身に熱い感覚が戻ってきている。
・首から肩にかけての痛みこり→こりについては多少マシになって来ている(気がする)。
・就寝時、まだ時々胸椎の辺りが痛い→薬がないと息が出来ない程の痛さがある。
・走れない…小走りを試みるが、足に力が入らない為その場で崩れる。

△TOP

■2005年7月1日 術後114日目 (退院91日目)

車での移動もカラーを着けないで、時には立ったままで車内で長時間過ごす事もあり、
見た目にも、もう普通の生活と全く変わらない。状態は大変良好である。

ここ最近は別の要因からくるストレスからか、栄養偏重からか蕁麻疹に悩まされている。
もともと蕁麻疹症だったが、薬である程度抑えられていたのが、また再発し始めたようだ。
何かに触れると皮膚がかぶれたように赤くなり、発疹し始めるのだが、首の術創が
形そのままに膨れてきたり、腰の術創も下着のこすれで傷もろとも膨れ上がってくるので
これがかなわない。

病院でもらったぬり薬で対処する。のみ薬は眠くなるので寝る前に服用。例の筋肉痛の
薬と一日置きに服用している。


<各症状の状態>

・右手ひじの痛み…思い出すと痛くなる位(ほとんど痛みはない)
・右手指先のしびれ…そのまま(でもしびれている事を忘れている)
・長時間の歩行…足がもつれることはあるが、急ぎ足が可能になった。
・温感…上半身はほぼ戻ったようだが、お腹から下が鈍い
・首から肩のこり…疲れが出ると痛みが出る(普通の人と同じ)
・就寝時の胸椎から背中全体の痛み…薬が必要・これだけはどうしても治らない。
・走れない…どうやってもまだ走れない。
・その他の症状…蕁麻疹がひどくなってきた。

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■2005年7月13日 術後126日目 (退院103日目)

発病したのが真冬の寒さの中。退院したのは春先、まだ肌寒さの残る毎日であった。
退院してついに100日を超え、今度は夏の暑さが身に堪える気候となった。

一般的に寒い時期に比べてあたたかい季節になると体の痛みそのものがやわらぐと
いうこともあって、痛みや痺れが気になっていた時期やそれそのものを忘れそうな位。。

今日は術後4ヶ月目、定期検診。

前回まではカラーを巻いた状態で病院へ来た。
非常に「病人然」な格好、表情でここへ来たものだった。
しかし、今回は違う。全く普通の人の外来診察の様だ。まわりの視線も全く感じない。

それでもあの日々を過ごした、あの匂い、温度、全く変わらない雰囲気を、じっくり
味わうかの様に、自分の名が呼ばれるまでのゆったりした時間を過す。

いつものように、一通りレントゲンを撮る。正面、斜め左右、左。頚部がよく写るように。

外来に新しい看護師さんが入ったようだ。私の入院決定を促してくださった、
あの超ベテランの清水看護師の直々の厳しい指導を受けていた。大変そうだ。

主治医の永野先生。診察室に入るやいなや、「お、元気そうやね!」

先生から見ても、もう『普通の人』に見えたのだろう。会う度に感謝の気持ちと言葉で
一杯になる。先生と清水看護師に「…お蔭様です。」


状態は非常に良好。骨のくっつきもかなりすすんでいるのが見えるとのこと。
ケージ内部でも骨の形成がそろそろ見え始めているとのことで安心。
最近うつぶせ寝をしてしまう事が多く、少々怖い思いをしている、という事を相談。
…全然問題ないらしい。うつ伏せ寝というのは大きく首が後ろに反ってしまうもの
(私の場合、だが)で、術後から一番気を使っていた「動き」なだけに非常に不安
だったが、もうよほどの無理な動きをしない限りは全く普通通りの生活でいい、
という事なのだろう。

うつ伏せで寝る事で、退院以来の悩みだった背中(胸椎)の痛みがほとんど
なくなっていたので、この点でも非常にありがたい。

神経症状については前月とあまり変わり映えがないようだ。
『術後半年』と、事ある毎、話は出るが、半年を過ぎたとしても希望は持とうと思う。

薬の処方なし、次回の診察も少し間をあけましょう、という事で8月31日で決定。

…だんだん離れていく。病院。


今回もまた病棟へ。

かつて入院していた整形外科・脳神経外科の病室のある階まで行くと…

あれは…もしや、中川看護師。。

手術翌朝の朝食。首を前から切開したために喉が通りにくい私のために、
じっくりと時間をかけて、パンを小さくちぎり、口に運んで下さったあの方。
あの一口ひとくちが大きな元気の素になった。。
その優しい眼からも言葉からもあふれてくる元気の素は、まだチューブ
だらけの全くの病人然とした私を、あれだけ早期に回復させたのだろう、と
信じて止まない程に恩を感じている方だ。

ところが、退院の日、勤務のすれ違いでちゃんとしたご挨拶、お礼が出来ず、
その後もなかなかお逢いする事が叶わなくて、残念に思っていた。。

そう。この方にお逢いしたいが為に、診察の日の度に病棟に来ていたのだ。

…その中川看護師が目の前に。

もう4ヶ月も前の事、すこし間を置いてだが思い出して下さったようだ。

あらためて丁重にお礼をした。。思わず「合掌」していた。。


あの日、あの時とかわらない優しい笑顔がうれしかった。

これからもたくさんの人に勇気を与え続けて下さい。




<各症状の状態>

・右手ひじの痛み…忘れている。手の甲が少し痺れ痛い事がある
・右手指先のしびれ…少し改善したのか、痛感が戻っている。
・長時間の歩行…やはり足がもつれることが多い。慣れてきたからか
・温感…上半身(方から上)はほぼ戻ったようだが、お腹から下が鈍いまま
・首から肩のこり…うつ伏せ寝のおかげで痛みの質・部位が変わった。
・就寝時の胸椎から背中全体の痛み…これもうつ伏せ寝効果でなくなりつつあり
・走れない…走ろうとする、そんな動きが出来るかも。スキップみたいな動き
・その他の症状…蕁麻疹がひどくなってきた。さらにひどい。全身に亘る。

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■2005年8月31日 術後175日目 (退院152日目)

事実上、手術後6ヶ月目の診察。

早い。本当に早かった。。

術前術後というのは、ひと月の寝たきりも覚悟していた事もあって
「半年」という時間が途方もなく遠い未来のように感じていた。

…半年後までにどれだけの神経機能の回復を遂げる事ができるか。。
「遥かな未来」であるはずのその期間。全く予想がつかない一方で
楽観的に捉えていたのも正直なところ。

家族同席の上での術前説明の時と一字一句同じ言葉が
主治医・永野先生のこの日の第一声だった。

「術後6ヶ月、この日があなたの人生スタートの日と思って下さい。」

要するに6ヶ月という時を経て、回復する事が出来た機能。。これが基準。

回復されなかった機能については、運がよければ、戻ってくる。
もちろん時間をかけて戻る機能はあるが、同時に老衰で通常、
健常者でも失っていくものとの相殺になる、と言う事。

今、失われている機能…

走る事。意図的に走らないようにしているではなくて、
「走り方」そのものを体が忘れてしまったかのようなのだ。
もちろん階段を駆け上がる、駆け下りる、絶対無理。

胴体表皮の温感。
痛感も危ういかもしれない。

仕事にも慣れ始め、少しずつ無理もし始めるようになって、
6時間ばかり歩き詰めをしてしまったある日、今度は左足の
つまさきが痺れ、6番・7番頚椎椎間板のヘルニアが悪化した
のか、と疑った。
2日程してその痺れも気にならなくなったが、よく見ると左足
中指の指先に大きな血豆が出来ていた。

痺れではなくて、感覚の薄い「痛み」だったのだ。

じんましんを掻きつぶして靴下が血まみれになっていたり、
それでも痛みがあまりないので、これは本当に気をつけねば。




レントゲンの画。前回よりもくっきりとケージ周りの骨が見える。
5番・6番がしっかりとひとつの頚椎になっている。

上記以外気になる点を除けば、生活に一切不自由がない状態。
術後の経過も良好。

次の診察は12月となった。

もう毎月来る必要がなくなった。

『半年』はひとつの節目。

日常の中に「病院」が、気持ちの中に「療養中」があったこれまで。

『発病』前とほとんど変わらない自分になって、人生観だけは確かに
大きく変化した。


<各症状の状態>

・右手ひじの痛み…ストレスを感じると、かなりの痛みが伴う事があるが、
 それ以外は軽い痺れがずっと続いている状態。
・右手指先のしびれ…指先感覚はかなり戻っている様子。サランラップを
 2重に巻いた位の感覚にまで戻って来た。
・長時間の歩行…仕事で6時間歩き詰め、10時間の自転車、そんな状態を
 3日間続ける、と言った経験をした。大丈夫だった。
・温感…お腹がまだ・・・というより何か、温感をカバーするような神経が出来て
 来たのか、なんとなく感覚が戻って来たような「気」がする。
・首から肩のこり…長時間のデスクワークはやはり堪える。確実にこる。
・走れない…走ろうとする、そんな動きが出来るかも。スキップみたいな動き
・その他の症状…蕁麻疹がまた一段とさらにひどい。薬が効かない。

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■2005年12月7日 術後273日目 (退院250日目)

前回の検診から3ヶ月。病院の雰囲気そのものが
自分の記憶から薄れているようで、前回まで感じた
「懐かしさ」のような感覚が最初あまり感じられなかった。
待合を行き交う看護師さん達に、知った顔が少なく
なってしまったのもあるかも知れない。

入院時同室だった森田さんや辻さんに会いたい…
「偶然」を信じ、入れ替わり立ち代わり過ぎ行く人の
中を探している。。
そうこうしている内、時間が経つにつれ「匂い」だとか
「音」だとか「空気」が記憶の底から「あの時」を
呼び覚ましてくる。。


そう。私はここで1ヶ月過したのだ。


しかもそれは今年の話…
なんとも2年も3年も経ったかのような記憶の綻び。。






例によって、レントゲン撮影の後、永野先生の診察。

ここ最近、急激に寒くなって、体を強張らせる為か
歩き方がぴょこぴょこと、どうもぎこちなくなってしまう
ことがあった事、
未だ背中の痛みが激しい時がある事、
(これは私が男性にしては"なで肩"なことも原因との事。
筋肉痛が起きやすいらしい…やはり筋肉痛だと言う)
お風呂もお湯のぬくもりが少しづつ感じるようになって
きた"ような気がする"事、
諸々の報告。
レントゲン写真の所感では骨のくっつきが全く以って
正常、かつ順調である事、
そしてもっと運動、トレーニングをしなさいと指導される。

次の診察はさらに3ヵ月後。

ちょうど術後1年検診となる。

永野先生に「良いお年を」の挨拶をして退出。

この病院に来ると必ず行うこと。
病棟訪問。。これもそろそろ行き辛くなってきた。
「部外者」感が強くなってきたのだ。
入院時毎朝のように買いに来ていたブリックタイプの
コーヒーを飲むこと。。

午後からは仕事なので足早に病院を後にした。

<各症状の状態>

・右手ひじの痛み…ストレスから開放され、痛みを忘れていたが、寒さで
 少しぶり返した感じがする。
・右手指先のしびれ…気にならないほど「慣れて」きたが、痺れは有る。
・長時間の歩行…ほとんど問題はないが、寒さで体が強張ると亢進が出る。
・温感…戻って来たような気がする。熱めのお湯だとお風呂に入った実感が
 少しあり。
・首から肩のこり…長時間のデスクワークはやはり堪える。確実にこる。
・走れない…ペンギン走りなら可能になってきた。
・その他の症状…ストレスから開放されると蕁麻疹もなくなった。。

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■一年後 術後363日目 (退院341日目)

3月8日。

この3月の8日という日は私にとって何かと印象深い日である。

その元は学生時代、ロシア(当時はソビエト連邦)旅行をした際の
モスクワ滞在中、連日氷点下2桁の日々の中、にもかかわらず、
街が「花でいっぱい」だった想い出。
今現在でも日本では馴染みは薄いものの、この日は「国際婦人デー」
であり、かの国では「女性の日」として、大切に想っている女性に花を
プレゼントするなど、大いに盛り上がる日で、その代名詞である、
『ヴォシモーヴァ・マールタ (3月8日)』というロシア語の言葉の響き
ともに深く心に刻みこまれている。

昨年(2005年)のちょうど同じこの日、家族を交えた術前の説明が
行われ、自分の両親と共に万が一の危険性について詳しく聞きながら、
20数年近く前の、その「花いっぱい」の風景を思い出していた。

前回から3ヶ月ぶりとなる定期検診。

もう既に懐かしささえ感じる病院へ車を走らせた。

"いつもの"風景、"いつもの"匂い、快適な室内、
看護師さん達のてきぱきとした動き、院内放送。。。

何もかもが、「あの時」のまま。

一通り診察を終え、大病院に特有の会計までの長い待ち時間。

昨年自分がひと月の間過ごした病棟・病室へ行って見た。

検診の度に訪れていたのだけど、夏に来るのとはやはり違う、
「あの時」と同じ色の窓の景色。

見舞いの時間外、しかも回診の時間なのでお世話になった
看護師さん達はほとんど不在。ナースステーションにいるのは、
新しい人ばかりのようだ。残念。

一年前は、ここを車椅子、または歩行器でよたよた歩いていた。。

ここしばらくは一日一日、去年の振り返りばかりになりそう。





レントゲンでの状態確認でも全く問題なし。
前回の検診より骨が形成され、きれいにくっついているのが、
私の素人目でもわかるほど。


一年を過ぎて、とうとうこれで通院もなくなってしまうのか、と
おかしな話、不安感や寂しさを感じていたのだけど、次の検診が
あるようで、これもおかしな話、少しうれしかったり…
「予約可能な一番先の日にち」ということで、次回は7月の末。

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